P-38ライトニング偵察機

防御力 攻撃力
前面防御力 側面防御力 後面防御力 上面防御力 ダメージ 貫通力
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仕様
速度 635 km/時

ロッキードP-38ライトニングの特異な形状を生んだのは、高い最大速度と上昇率、長射程を備えた航空機を開発しなければならないという必要に他ならなかった。単発エンジンの設計ではこの条件を一度に満たすことは無理だった。そこで、この仕様に基づき、各ガードの先端に1つのエンジンを取り付けた2ガード設計が出来上がった。XP-33試作品は1939年1月27日に初飛行を行ったが、テスト飛行で墜落してしまった。しかし、ロッキード社は試験的にYP-38機を13機を納入するように注文を受けた。生産が開始されると、P-38はヨーロッパと大西洋の両方の戦域でアメリカ陸軍により利用され、数多くの忘れがたい勝利をあげた。その1つが、ガタルカナルの飛行基地から885 km(550マイル)の距離での山本五十六連合艦隊司令長官を乗せた日本軍の三菱G4Mの撃墜である。
ライトニングの偵察機型は兵器の代わりに写真装置が取り付けられた。高度な飛行能力により、速度と操縦性で敵の戦闘機を軽く凌ぐことができた。ライトニングは恐らく戦争の最後の数年の間に西ヨーロッパの領域全体を何度も撮影したはずである。作家兼画家で、自由フランスの飛行大隊の飛行士サンテク・ジュペリは、ライトニングを操縦中、大戦の極めて最後の時期に登場しライトニングを撃墜できる数少ないドイツ軍戦闘機の1つ、FW-190Dによって撃墜され、死亡した。