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ハリケーンMk.I戦闘機
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1930年代に、多くの国がより新しくてより強力なエンジンを搭載した次世代戦闘機の設計に着手し、木製の骨組みを持つ布張りの複葉機に代わって金属製の単葉機を導入し始めた。ロシア軍のI-16、イタリア軍のマッキ、ドイツ軍のメッサーシュミットBf-109がこの新たに導入された技術のベンチマークである。 イギリスのソップウィズ社改めホーカー社は、1930年代初期にイギリス初の単葉戦闘機ハリケーンを開発した。設計主任シドニー・カムはさまざまな複葉機の要素をそのまま転用して、恐らくは最も保守的と言えるであろう単葉戦闘機モデルの開発を監督した。それらの要素としては、比較的に広い翼幅、数多くの部品から成る複雑な設計、全体に布を張った表面、火力がやや弱い7.7ミリの機関砲をきっちり8門収納した点などがある。 この戦闘機は1935年に初飛行を行ったが、1万6,707フィートに315 mphで到達し、RAF(イギリス空軍)を感心させた。1937年10月には、公式のmoniker Mk1として製造が開始された。 英国本土防衛線が始まった時、Mk IがRAFの主力戦闘機となった。当初の目的はより高速のスピットファイアが敵の戦闘機と交戦している間に爆撃機を迎撃することにあったが、すぐにハリケーンは爆撃機を攻撃するのに必要な高度まで飛行できないため、設計が古すぎることが明らかになった。この航空機の製造は進行していたため、イギリス軍はスピットファイアを製造するための高度な設備を持っていない工場でハリケーンの製造が続けられた。ハリケーンの多くはカノン砲を新たに装備されて、攻撃航空機に転換されたが、徐々に第一線から退き、1944年には製造が打ち切られた。 この時代に量産された戦闘機の多くは大幅に改良が加えられたため、終戦の時点までにその前任機の面影はほとんどなくなっていた。しかし、ハリケーンはその9年間、兵器とエンジンに多少アップグレードが加えられたに留まり、大戦に登場した新型機の中で最も保守的な航空機の1つに数えられている。 |
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