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KV-1 重戦車
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KV1の登場はある程度まで偶然によるものだった。1930年代後半、軍部と設計局は将来は重装甲戦車にかかっているという結論に達していた。第2次世界大戦の開始前にそのような車両を製作していたのはフランスとソ連の2カ国だけだった。当時、複数の発射点を持たない怪物戦車は大方の想像を超えており、多くは複数砲塔を持つ戦車を設計していた。 複数砲塔の戦車は重過ぎて、効果的にはなりえないことが分かったため、そのような戦車の設計をあきらめなければならないことは明白だった。軍部は徐々に要件を砲塔5基から2基に減らしていき、設計者は仕様に合った特性を備えた2砲塔の戦車を作成した。しかし、念のために、大きさを小型にし、装甲を厚くした砲塔1基のバックアップ改造型も設計しておいた。この設計はクリム・ヴォロシロフ、略してKVと呼ばれた。どちらの戦車もフィンランドでの初期の作戦で実地に試された。その結果、扱いにくい2砲塔のSMKは失敗だったが、それに反比例するように、KVは成功を修めた。KVは簡単にフィンランドの要塞を突破し、砲撃の距離や方向に関わらず、同時代の戦車および対戦車砲に対して無敵であり続けた。 この「バックアップ」設計は、数多くの欠点があったにも関わらず、2年間、世界で最強の戦車になった。ドイツ軍はロシアを侵攻したときにその証拠を直接目にした。KVの損失のほとんどは乗員の経験不足か、補給不足が原因だった。しかし、有能な兵士の手にかかれば、たった1両のKVでも敵の師団全体を阻止することや、戦闘の課程で30両の敵の戦車を倒すこともできた。 戦争中、KVの装甲は重量を軽くし、信頼性を上げる目的で減らされたが、ドイツ軍もまた彼らの対戦車兵器を改良していたため、KV 1はその大きな利点であった無敵さを失い、IS戦車にその場所を譲った。 |
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