BT-7軽戦車

防御力 攻撃力
前面防御力 側面防御力 後面防御力 上面防御力 ダメージ 貫通力
20 12 10 10 35 43

仕様
主要武装 45ミリ/L 46/
Q 172
2次武装 7.62ミリ/
Q 2394 x2門
重量 13.9 トン
最大速度 55 km/時
エンジン出力 500 hp
乗員 3名
装甲厚
(最小/最大)
10/23ミリ名

赤軍は1931年に最初の軽BT戦車を受け取った(BTはビストロホドヌイ・タンク、つまり快速戦車の略である)。BTは車輪無限軌道駆動を目だった特徴とするアメリカが設計したクリスティーの改造型である。約30分で、キャタピラを外すことができ、戦車は支持後部ローラーだけで走行できる。このため、この戦車の最高走行速度は当時の一部の自動車さえも上回ることができた。BTの設計は支持ローラーごとにスプリングが付いた独立したサスペンションを持っている点でも革新的だった。
1931年に、3両のBT-2が赤の広場の軍事パレードに参加した。この設計にさらに改良を加えた結果、砲塔が新型になったBT-5が生まれた。BT-5戦車には45ミリカノン砲と機関銃2門が装備され、ロシア製の航空機エンジンによって動力を供給された。設計の変更によって戦車の重量が増加し、11.5トンに達した。これは走行ギヤの強化につながった。 BT-7では、装甲板が厚くなり、接合に溶接式が採用された。またアップグレードしたM-17航空機エンジンが搭載され、射程が増加し、照準システムが安定化した。
BTはスペインとフィンランドで使われ、ハルヒン・ゴルで日本軍を壊滅する力になった。BTはT-26ほどは広まらなかったが、開戦時までは、ソ連軍機甲部隊の基本であり続けた。この設計は最終的にT-34の誕生のための道を開いた。T-34は1941年までに、BT-7Mの地位を奪っていた。