![]() |
A-19 122ミリ砲
|
||||||||||||||||||
|
第1次世界大戦以前、重砲は要塞の包囲または防衛に用いられることが普通だった。可動性のなさから、野戦では役に立たないと考えられていた。射撃間隔が高い軽野戦カノン砲の方が敵の歩兵、騎兵、大砲に対してより効果的だったのだ。20世紀末に重野戦砲の設計に努力を集中させていたのはドイツだけだった。第1次世界大戦で、彼らに先見の明があったことが証明された。軽野戦カノン砲は塹壕で守られた歩兵には無力だったが、前線から離れた位置に配備したドイツ軍の重砲は塹壕だけでなく、射程の短いイギリス軍、フランス軍、ソ連軍のカノン砲をも破壊することができた。しかも、反撃を受ける恐れもなかった。 第1次世界大戦後、しばらくの間、この種類の大砲は重視されなかったが、教訓が忘れられたわけではなかった。ソ連軍が1930年代初期に軍隊を編成し直すと、A-19重野戦カノン砲が最初に誕生した兵器の1つになった。この設計は真に画期的で、拡張できる脚と広範な発射弧を提供する回転式砲架を備えた、この種類で最初のものとなった。A-19の射程はこの等級における他のどのカノン砲の最高射程をも凌いでおり、フィンランドとの冬戦争で利用されて成果をあげ、大砲砲兵中隊と戦場の要塞を破壊し、指揮系統と補給線を混乱させ、援軍が前線に動員されるのを防いだ。 しかし第2次世界大戦が始まると、A-19は戦車の破壊に優れた能力があることで知られるようになった。これは設計者が予測していなかったことだ。1943年まで、赤軍はドイツ軍が製造している新型の重戦車を破壊できる対戦車砲を全く所持していなかった。より強力な対戦車カノン砲の量産には時間がかかるため、A-19はすぐに利用でき、新しいティーガーやエレファントに反撃できる唯一の兵器であることが分かった。この大砲は対戦車任務に非常に有効であることが判明したため、A-19の改良型がロシア戦車や自走砲ユニットに決まって搭載されるようになった。そしてベルリンに向かって最初の砲撃を行ったのもA-19だった。 |
![]() |
![]() |