仕様 |
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口径 |
120 ミリ |
射撃間隔 |
6 発/分 |
射程 |
6 km |
重量 |
285 kg |
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迫撃砲は強力だが、安価な歩兵兵器の最高の例と言えるだろう。ソ連軍は日露戦争中にポート・アーサーで初めて迫撃砲を使い始めたが、そのルーツははるか昔、古代の臼状の発射器と投石機に遡れる。非常に高コストで、過剰な火力を持つカノン砲では満たすことのできなかった歩兵の持つニーズを迫撃砲なら満たすことができた。そのニーズとは短射程であることと爆発弾を速やかに撃ち込めることである。第1次世界大戦中、さまざまな迫撃砲の設計が利用されたが、第2次世界大戦の始まりまでには、ほとんどの迫撃砲は他のシステムに比べて1つ利点のあったストックス=ブランツの引火方式を採用して作られるようになっていた。その利点とは設計の単純さである。そのため、安価でもあったのだ。この利点は重要であることが分かり、誘導管、ベース板、支柱から成る設計が世界中で模倣された。ほとんどの国では、82ミリまでの軽迫撃砲だけが利用された。
しかし、ソ連はこのような安価で強力な兵器は、大口径も含めてさまざまな口径を作るべきだと判断した。最終的に、120ミリと160ミリの両方の迫撃砲設計が採用された。利点は明らかだった。120ミリの迫撃砲は122ミリの榴弾砲よりも9倍も軽く、122ミリのカノン砲より22倍も軽かった。さらに、射撃間隔が速く、防護されている目標を狙うことが可能なため、2つのどちらよりも人員に対して有効だった。これらの重迫撃砲によって、赤軍はごくわずかな資源で集中射撃を行うことができた。また、これはパラシュート兵とパルチザンが利用できる唯一の重兵器の1つだった。120ミリの迫撃砲が大成功したため、ドイツ軍は何の改良も加えずにそれを採用し、この日までほとんど何の変更もされていない数少ない兵器の1つになっている。
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