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セモベンテ75/46自走砲
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開戦時に、イタリア戦車産業は他の諸国と比べて10年から15年遅れていた。最後のイタリア製13/39と14/40戦車はロシアのT-26とポーランド7 TPと同様、ヴィッカース6tを基礎にして作成された。その枠組みは溶接され、一定の角度に曲げられた断面から成り、防弾装甲板がリベットとボルトで取り付けられていた。イタリア軍はそれに2列に兵器を並べ、戦争中に製造が開始されていた「中戦車」と得意げに呼んでいた。 ドイツ軍のIII号突撃砲自走砲の成功を受けて、イタリア軍も同様の兵器の設計に取り掛かった。14/40戦車を基礎として利用することで、セモベンテと呼ばれる自走砲の系列全体を設計した。名前の後につく数字はカノン砲の口径とその長さを表す。あまり大したことのない戦車をベースにしていたにも関わらず、セモベンテは驚くほど効果的だった。広々としたキャビンに搭載されたカノン砲は扱いやすく、セモベンテのシルエットは同じ等級の他の自走砲ユニットのどれよりも低かったため、戦場でカモフラージュするのも簡単だった。 セモベンテは長い間イタリア陸軍では利用されなかったが、イタリアの降伏後、ドイツ兵力によって広く使われた。セモベンテの方がより視認されにくかったため、ドイツ軍の戦車兵の多くは自軍のIII号突撃砲Iよりも高く評価していた。セモベンテ75/34は連合軍戦車の多くの破壊に貢献した。 |