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マチルダMk.II歩兵戦車
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マチルダは女性にちなんで命名された世界で唯一の戦車である。1936年、ビッカース社は6,000ポンド未満のコストで製造できる歩兵戦車の設計を依頼された。その結果、速度はやや遅く、火力も限られているが、装甲は厚い戦車が出来上がった。最初のモデルA11には数多くの欠点があった。2名しか収容できないスペース、機関銃1門のみの武装、時速13 km(8マイル)の速度を出すためのギヤ1つだけの扱いにくい「ギヤボックス」などである。新型戦車に対する試験が開始された時には、改良作業が既に進行していた。改良型戦車は敵の歩兵、砲床、その他の戦車の反撃に最も効果を発揮できるように設計されなければならなかった。その結果、2ポンドの対戦車カノン砲、3名収容の円砲塔、2基のディーゼルエンジンなどの改良を加えられたA12、別名マチルダIIが完成した。前面装甲も厚くなった。 戦争の開始時には、A12は2両しか用意できていなかったが、1940年の春までに、砲兵大隊の用意ができた。フランスで、A11とA12は好成績を上げた。ドイツ軍の対戦車砲は厚い装甲に対しては効果がなかったためである。しかし戦闘そのものは敗北に終わり、イギリス軍は重機材のほぼ全てを置き去りにしてダンケルクの海岸から逃走した。このためマルチダIはイギリス軍のもとに1両も残らなかった。この出来事の後、A12は単にマチルダと呼ばれるようになった。 北アフリカでは、ドイツのアフリカ軍団の戦車と対戦車カノン砲は「厚い皮膚を持つ淑女」に対してまたしても無力だった。マチルダに対するドイツ軍の唯一有効な反撃は88ミリ対空砲だったが、ロンメル軍は、この対空砲をわずかしか所有していなかった。ドイツ軍はすぐにソ連軍の76ミリカノン砲を装備した対マチルダII用の駆逐戦車を自軍の兵器庫に追加した。これはマチルダに対しても有効であることが証明されたが、マチルダの厚い装甲は依然として信じ難いほどのアドバンテージとなり、やがてはイギリス軍の戦車隊から「戦場の女王」というニックネームが付けられた。マチルダがアフリカキャンペーンの最初の期間において重戦車戦闘の全ての負担を担ったことは否定できない。 1942年までにマチルダは時代から遅れた型となった。1945年まで火炎放射戦車型、戦場を照らすための投光照明、地雷除去ネット、ブルドーザー、架橋クレーンなどのさまざまな改造型が利用された。マチルダは第2次世界大戦の最初から終わりまで使われ続けたイギリス軍で唯一の戦車である。 |