仕様 |
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速度 |
580 km/時 |
武装 |
20 ミリSHVAK x1門 |
武装 |
7.62ミリSHKAS x2門 |
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スペイン市民戦争中、スペイン上空でドイツ軍に彼らのBf-109戦闘機の方がI-16よりも優れていることを見せつけられると、ソ連政府は次世代戦闘機を製作する時期だと判断した。いくつもの局が次世代航空機の設計を委託されたが、最終的にI-26またはYak-1が競争に勝った。航空機はヤコブレフの監督のもとで設計され、1940年にテストされ、同期化した超急速発射SHKAS機関銃2門と並んで、プロペラを通じて発射するSHVAKカノン砲が搭載された。この航空機は軽量で安定性もあり、操作は楽だった。テストを行い、必要な改造を加えた後、I-26型が量産された。第2次世界大戦の前半、Yak-1はソ連軍の中心戦闘機だった。
この航空機は高い機動性と正確で強力な兵器をシームレスに結合していた。ドイツ軍のBf-109E戦闘機に比べると、Yak-1は速度と操縦の両方で優れていたが、Bf-109Fの登場によって、対抗するためにYak-1をアップグレードする必要が生じた。ヤコブレフの設計局と空軍の研究センターが共同で航空機のエンジンをアップグレードし、低高度の飛行時における出力を大幅に増加した。この新しい設計は1942年夏に量産に移された。低高度と中高度では、速度はドイツ軍のBf-109FとBf-109G戦闘機に相当するまでになった。しかも、機動性はライバル機よりも依然として上だった。Yak-1は上昇速度の点では、特に高高度で多少不利だったが、高高度では空中戦は滅多に起こらないので、ほとんど問題にならなかった。より効果の高いUB機関銃(12.7ミリ)が2門のSHKASに代わって搭載されるようになり、航空力学性能とオーバーヘッドコックピットケーシングが改善され、視野が広がった。最後に無線が追加された。Yak-1は敵に回したら恐ろしいことが明らかとなった。この航空機には、ソ連軍の多くのエースパイロットが操縦桿を握った。シュワロフ空軍中尉もその1人で、彼は1943年に1回の戦闘でドイツ軍の航空機5機を撃墜し、最後の2機は「タラン」と呼ばれる最後の手段である操縦法を使って激突した。Yak-1は戦争の間ずっと利用され続けた。ただし、後半は徐々により進化したYak-9とYak-3にその場を譲っていった。
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