![]() |
IL-2攻撃機
|
||||||||||||||||||
|
Il-2はイリューシン設計局でTSKB-55またはBSH-2装甲戦闘航空機モデル2として誕生した。最初のテストは1939年10月2日に開始され、生産は1941年に始まった。戦争を直前に控えて、この航空機を使う最初の空軍部隊が編成された年である。 Il-2の前線への初登場はドイツ軍を完全に驚かせた。Il-2にはいくつもの兵器プラットフォームがあり、人、装甲車、装甲戦車、大砲、対空砲列、通信設備、兵站部、列車、その他の広い範囲の目標にうまく反撃できるように出来ていた。 戦闘経験を重ねるうち、この航空機はコックピットの防護されていない後部を敵の戦闘機に攻撃されると弱いということが分かり、ソ連軍は1942年秋までに機関銃を後部に搭載した2座席の改造型を導入した。1943年には、エンジンがAM-38Fにアップグレードされた。その間、兵器は絶えずアップグレードされていたため、Il-2の戦闘能力は常に向上していた。1943年に37ミリのカノン砲が翼の下に取り付けられた。これにより、重戦車を弾が的中しなくても倒せるようになった。M-8とM-13ミサイルと空砲爆弾もこの戦闘機の火力を高める中心的な役割を果たし、これらが低高度から投下されると、15x75メートル(16x82ヤード)の範囲に入る敵の戦車がほぼ全て破壊された。多くのドイツ軍兵士がIl-2を「地獄からの挽肉機」と呼んだのも無理はない。Il-2航空機は記録となる36,163機が製造され、より進化したIl-10戦闘機の基礎にもなった。 |
![]() |
![]() |