T-34中戦車39年型

防御力 攻撃力
前面防御力 側面防御力 後面防御力 上面防御力 ダメージ 貫通力
80 54 61 26 60 71

仕様
主要武装 76 ミリ/
L 41.6/Q 66
2次武装 7.62 ミリ/
Q 3906 x2門
重量 26 トン
最大速度 55 km/時
エンジン出力 500 hp
乗員 4名
装甲厚
(最小/最大)
19/101ミリ名

1930年代中頃のソ連軍戦車は速度と兵器の両方の点で外国モデルより優れていた。しかし、その装甲は第1次世界大戦を戦ったモデルと基本的に全く変わらず、弾丸と砲弾の破片に対する防護を提供していたに過ぎない。これらの軽戦車の多くはスペイン市民戦争に利用され、より近代的な対戦車砲から受け入れがたいレベルのダメージを受けた。
この戦争から得た経験から、装甲を改良することと、エンジンを砲撃からもっと守る方法を探さなければならないことは明らかだった。それに加えて、車輪無限軌道エンジンの設計も見直す必要があった。ハルコフ蒸気エンジン工場の戦車設計局は既にA-20と呼ばれる新型の車輪無期限機動戦車の設計作業を開始していたが、自分たちの主導で完全に無限軌道式の戦車を設計することも決意していた。
装甲板が傾斜した角度で取り付けられた。これは砲弾に対する抵抗を大幅に向上した。その結果、誕生したのがT-32である。T-32はテストの後、大きな成功作とみなされた。ボロシロフは赤軍が戦車を必要としていることは知っていたが、エンジンには予備のパワーが相当残っていたので、装甲をさらに強化することを求めた。装甲厚は45ミリに増加され、T-34が誕生した。
当然ながらソ連軍はこの新しい兵器を大いに賞賛したが、ドイツ軍もそれを賞賛するとともに恐れた。第2次世界大戦の開始時において、T-34は世界で最も防護されていて、最速で、一番機動性が高い中戦車だった。そして1942年の終わりまでその優勢を維持した。 しかし、視界の悪さや窮屈さなど初期の設計には欠点もあった。これらの欠点は開戦後に速やかに解決された。T-34は徐々に最も広く利用されたソ連軍戦車となり、SU-122、SU-85、SU-100などの自走砲のベースとして利用された。