VI号戦車ティガー

防御力 攻撃力
前面防御力 側面防御力 後面防御力 上面防御力 ダメージ 貫通力
123 71 96 26 110 136

仕様
主要武装 88 ミリ/
L 56/Q 92
2次武装 7.92 ミリ/
Q 5100 x2門
重量 57 トン
最大速度 38 km/時
エンジン出力 700 hp
乗員 5名
装甲厚(最小/最大) 14/151 ミリ

ドイツ軍は1936年に重戦車の開発作業を開始した。新型の重戦車は重さ30トンで、IV号戦車より強力なエンジンを装備する予定だった。しかし実戦の体験から50ミリの装甲では重戦車に対しては十分な厚さではないことが分かった。1940年に重量を最大45トンとして、本当の意味での重戦車を製造するという決定が下された。この仕様によって対砲撃装甲の取付けが可能になった。仕様に繰り返し変更が加えられたため、設計作業は1942年まで続き、入札を争っていたポルシェ社とヘンシェル社はそれぞれ異なるシャーシと兵器を使う戦車設計を提出した。
ポルシェ社の設計の方が紙の上では優れていたが、信頼性と機動性の両方で競争相手より劣ることが分かった。ヘンシェル社の戦車は必要とする材料が少なくて済んだ。材料の多くは補給不足になっていたため、軍部はヘンシェル社の設計を採用することに決めた。後でヘンシェル社には期限内にカノン砲を製造することは無理であることが分かり、8.8センチのフラク18/36カノン砲を備えたポルシェ戦車砲塔をヘンシェルのプラットフォームに追加することになった。これによって装甲厚が100ミリで重さ55トンの混成型戦車が出来上がった。ティーガーはこの種類で最初に量産された重戦車となった。
この戦車の初登場は不首尾に終わったが、この失敗はティーガーを湿地で使った指揮官の判断ミスの色合いが濃い。ティーガーはまもなく戦場で真価を発揮し、史上最も名高い戦車の1つになった。ティーガーは個々の重戦車大隊に編成され、経験を積んだ乗員だけが乗り組むようになっていた。この組合せによってティーガーは恐るべき駆逐戦車となり、敵から大いに恐れられた。ドイツ軍のウィットマン大尉は1回の戦闘で軽く26両のイギリス軍戦車を滅ぼした。この数には他の車両は含まれていない。大尉はイギリス軍の戦車師団の攻勢全体の速度を遅らせることに成功した。
ティーガーは製造された戦車の中で、最も強力な最高傑作と広くみなされている。この賞賛は根拠に基づいたものである。連合軍とソ連軍の兵力はこれらの戦車をあまりにも恐れていたため、実際に製造された数は比較的少ないにも関わらず、前線で目撃したという報告や噂は数多く残っている。