巡航戦車Mk.VIクルセーダー

防御力 攻撃力
前面防御力 側面防御力 後面防御力 上面防御力 ダメージ 貫通力
44 29 11 8 35 52

仕様
主要武装 40 ミリ/
L 50/Q 130
2次武装 7.92 ミリ/
Q5000 x2門
重量 19.3 トン
最大速度 43 km/時
エンジン出力 340 hp
乗員 5名
装甲厚(最小/最大) 6/44 ミリ

第2次世界大戦の終わりまで、イギリス軍は歩兵戦車と巡航戦車を別個に開発し続けた。歩兵戦車の場合、厚い装甲が何よりも重要な優先要件だったが、巡航戦車は戦場で独立して行動できることを主眼に設計され、高速性と長射程が実現され、装甲は軽かった。
戦前の最後の巡航戦車、クルセーダーの開発作業は赤軍の機動作戦におけるソ連軍BT戦車を観察したイギリス軍軍事ミッションのメンバーからの提案に従って、1936年に開始された。BT戦車はアメリカの発明家ウォルター・クリスティーの設計に基づいていた。イギリス軍もその設計を購入し、アメリカ政府によって輸出が禁止されていたにも関わらず、同年11月に1932年モデルがアメリカからイギリスへとこっそり運び出された。翌年、ナッフィールド・コーポレーションは装甲厚14ミリのMk III(A.13 MkI)巡航戦車の開発作業に着手した。モデルを新しくするに従い、装甲は徐々に強化され、最終的にはリバティエンジン搭載の重巡航戦車「クルーザーMkIV」(A.15クルセーダーMkI)が納入された。
一部の資料では、クルセーダーの胴体と砲塔の装甲厚を50ミリとしているが、これは完全に正確とは言えない。装甲厚を50ミリにするという責任を与えられたイギリス人設計者たちは代わりにうまい解決策を捻り出したからである。50ミリより薄い装甲を取り付け、表面の角度をより険しく取り、その後で垂直の装甲板の強度を計算したのだ。実際に厚さが50ミリあったのは、クルセーダーの前面砲塔板の部分だけである。クルセーダーはトブルクの封鎖を解除するための作戦中、北アフリカで活躍したことで一番よく知られている。この作戦の名前はこの戦車にちなんで付けられた。クルセーダーの速度と射程はこの作戦では特に価値があることが証明された。クルセーダーは当時のどのドイツ軍戦車よりも操縦性で優れていたが、戦闘では、戦車の兵器と装甲の点で不満を残した。装備していたカノン砲は潜在的な装甲貫通能力の点では合格だったが、高爆発性弾薬がなかったため、対戦車砲の餌食になりやすかった。装甲強度の再計算という措置も助けにはならなかった。さらに操縦がかなり難しいことと信頼性不足は大いに改良の余地があった。1942年、クルセーダーはクロムウェル戦車に取って代わられた。クロムウェルはクルセーダーの設計を進化させ、対空砲のプラットフォームとしての役割も果たせるようにしたものであった。